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春道堂への道④

前回からの続きです

 

……

 

第2グリーンビルを知った後も何件もの物件を見ましたが、他を見れば見るほど第2グリーンビルの良さを痛感し、恋しさは募るばかりでした。

 

しかし、前に経営していた店では家賃の高さに苦しめられたので、想定よりも高い家賃の物件を契約すると後々苦労することは身に染みてわかっています。勢いと感情だけで決断することは危険です。

 

物件を探し続ける日々が続き、気がつけばもう3月になっていました。初めて内覧をしたのが11月頃だったので、あれからもう4ヵ月か、と思ったときにぞっとしました。

 

私も40歳(当時)、充分な気力と体力を持って働けるのはあと30年くらいかもしれないのに、限りある人生のうちの4ヵ月もの時間を迷っているだけで使ってしまった!

 

大概の物件は3年契約なので3年は営業しなければ敷金が返ってきません。

 

なので想定より高い家賃×36ヵ月と言う期間の長さに怖気づいていたのですが、もし探し始めてすぐに物件を決めていたら、今の段階で3年契約のうちの4ヵ月はすでに経過し、残りは32ヵ月と言うことになる。

 

店を始めてしまえば3年なんてあっという間だろうし、なにより、迷っている間は物件探しに気持ちと時間を取られるけど、実際に店を開けば日々の営業が経験になり、間違いや失敗すら私の財産になる。

 

このまま物件探しに労力を使い続け、決断を先延ばしにして貴重な人生の時間を浪費するくらいなら、さっさと店を開いてもっと具体的なことで悩んだ方がよっぽど有意義ではないか? 

 

これまでの数ヵ月、すすきのを何周もしてビルを覗きまくり、たくさんの内装も見せてもらい、全身全霊を傾けて物件探しをしてきました。

 

安くて立地が良くてきれいな物件なんて存在しないこともわかってきたし、いくつも見てきた中でもここで店を開きたいと思えるところはほんの少しだけでした。

 

その中で間違いなく最高の物件である第2グリーンビルを、もう一度新たな気持ちで見てみたいと思いました。

 

翌日に他の物件も見せてもらう約束もあったので、ついでに第2グリーンビルも再度見せてもらいたいと仲介業者さんにお願いしました。

 

このまま迷い続けていてはいつまでも先に進めない、明日は見た中から決めるくらいの覚悟で行こうと思いまた。

 

もちろん改めて見てしっくりこなかったら契約するつもりはありませんが、その夜はなんだか妙に心がざわついて、ノートに殴り書きで長い日記を書きました。たぶん明日、人生をかける場所が決まるのだろうとの予感がありました。

 

 

翌朝、いつになく高ぶった気持ちで身支度をしていると、仲介業者さんから電話が入りました。なんと見せてもらう予定だった第2グリーンビルの物件が他の人に決まってしまったとのこと!

 

張り詰めていた気持ちの糸が切れ、一瞬で脱力しました。もう入れないと知って初めて、第2グリーンビルで働いている自分のイメージが心の中ですでに出来上がっていたことに気付きました。

 

呆然とする私に仲介業者さんは続けて「その代わりに第5グリーンビルの空き物件を見せてもらえるそうです」と言ってくれましたが、私はすっかり落胆していました。

 

前夜の高揚感も完全に消え失せ、今日も徒労に終わるのかと思いながら重い足取りですすきのに向かい、いつも同行してくれる友人と仲介業者さんと合流し、第5グリーンビルに向かいました。

 

第5グリーンビルは立地調査で何度も見て知ってはいたのですが、入り口に立つと改めて小さくて古いビルだなぁと思いました。第2グリーンビルで働く可能性を断たれ、完全にネガティブモードに入っていました。

 

妙に狭いなぁと思いながらエレベーターに乗り込み、5階で降り、ドアを開けた瞬間、息を飲みました。

 

内装は古く、明らかにスナックの造りではありますが、カウンター6席にソファーのテーブル席が二つと、私のイメージにぴったりの間取りだったのです。しかも第2グリーンビルの物件よりも狭いので家賃も安い! 

 

改めて考えると第5グリーンビルはすすきの駅より北側にあり、1フロアにある店の数が少なく、一階には有名ジンギスカン店と寿司店が入り、ちょっと古いことを除けば第2グリーンビルよりもずっと当初の理想に近い物件でした。

 

「ねぇねぇ、ちょっと、いいと思わない?」と浮ついた感じで友人に尋ねると、「うん、いいよね!」と、いつも冷静沈着な友人の反応も明らかに今までとは違います。

 

ただ、内装がかなり古いのと、椅子の色が紫なのがちょっと…… と思っていたら、ビル側の負担でシンクを入れ替え、配管も取替え、厨房の壁は塗り替え、床も新しいものに直し、ソファーの布や壁紙も私の希望のものに張り替えてくれるとのこと!

 

信じられないくらいの好条件に、なにか裏があるのではと不安になり、グリーンビルの担当の方にしつこく聞きましたが、特に落とし穴があるようにも思えず、その場で契約したいくらいでしたが、次の物件を見せてもらう約束もあったので、前向きに検討したい旨を伝えてバタバタと移動しました。

 

その後、何軒か見せてもらったのですが、第5グリーンビルの店を他の人に取られたらと思うと気が気じゃなくて、早く帰って契約に関する作業を進めたくて、そわそわと上の空でした。

 

 

物件探しを始めてからずっと思っていたことがありました。私の予算では完全に満足できる物件には出会えないだろうから、ある程度の妥協は必要だろうし、きっと契約する段になっても迷いと悔いは残るのだろうなと。

 

しかし今回はもはや迷う気持ちはみじんもありませんでした。ここが私の運命の場所なのだと確信しました。

 

物事を決断することが苦手な私ですが、運命が大きく動く時はいつも、風に乗って運ばれるように一気に決まってきました。今回もその風が吹いたのだと思いました。

 

 

それが2014年3月13日のことでした。その後すべてがスムースに進み、友人達の協力もあって二ヵ月後の5月12日には無事開店の日を迎えました。

 

縁とは不思議なものですね。もしも第2グリーンビルがまだ空いていたら、あの日のタイミングでグリーンビルの物件を見に行かなかったら、この場所で店を開くことはなかったのでしょう。

 

ただの偶然かもしれないけれど、冬の利家の日々と前夜の覚悟がこの幸運を引き寄せたのだと思いたい。

 

 

こうして私は、良店が多く風情ある都通沿いの、古くもこじんまりと暖かいこの第5グリーンビルにたどり着くことができました。

 

場所もビルもこの上なく最高なのだから、ここで繁盛させられなかったらすべては私の責任、言い訳は通用しないと思いました。

 

 

その後3年数ヵ月にわたり、楽しくも一生懸命営業を続けましたが、力及ばず閉店となってしまいました。

 

しかし、こうして物件探しの苦難の日々を思い返すと、私のごとき輝かしい経歴もコネもない人間が、子供の頃からの憧れの街すすきので、こんなにも理想と合致する場所で、3年以上に渡り店を続けられたことの奇跡とありがたさを改めて痛感します。

 

ああ今日も仕事か、職場に行きたくない、と思いながら嫌々働く人も多いのに、私は毎日スキップを踏むように出勤し、仕事の日も休みの日も変わぬ精神状態で楽しく生きることができました。

 

苦しかったこともないわけではありませんが、それはすべて私自身の力量不足を歯がゆく思うが故のことでした。

 

この店での日々は、結果的に閉店に至ってしまったことも含めて、我が人生の大きな糧となりました。

 

40歳で店を開き、気がつけば44歳になりました。日本人女性の平均寿命を考えると、春道堂にいた間に人生の折り返し地点を過ぎたことになります。

 

もう44歳、されど44歳、人生まだまだこれから。今回の経験を活かし、より楽しくより強く生きてゆかなければ!

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